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浅間太郎の小諸探し

明治時代の小諸はすごかったのは、どうして?その秘密はなんだろう。

寅さん神社、寅さんをご神体にしよう。

ぴんころ地蔵というのがある。

最近登場した地蔵で、仏典に登場するお地蔵様の名前ではない。

いいんです。そこに、どのような意味、名前が付けられていることが、大事なんです。


そう、意味を与えることが大事なんです。

菅原道真は、素晴らしい人だったんですが、あまりに、素晴らしいので、都で疎まれて、北九州の太宰府に左遷されてしまうんですね。そこで、なくなってしまうんですが、都で次々と起こる出来事を、菅原道真を左遷してしまったことが、原因ではないかと思い当たる人がいたんですね。


そこで、神様として祀って、都で起ないようにしようとしたんですね。


日本人のすごい知恵ですよね。どんなものにも、意味を見出して、活用する。


しばしば、神社やお寺が、ご利益をもたらしてくれるとおもっているかもしれませんが、お参りする人間が、お寺や神社にご利益を与えているんです。この素晴らしいシステムを、活用すればいんです。


ピンコロ地蔵だって、ただの石だと思えば、ただの石。でも、すばらしいご利益を授けてくれるお地蔵様をおもええば、すばらしい新参者のお地蔵様になる。


そう。意味を誰からあたえればいい。すばらしいストーリーを言い出せばいい。


神社やお寺以上に、すばらしいいわれがあって、寅さんの像ができたのに、それを見つけられないようじゃ、町の繁栄はおぼつかないかも。


小諸自体に、素晴らしいストーリー、いわれを言い出せるかどうかが、勝負だな。


素晴らしい町だって、誰がいうのかな。


小諸はなにもなくても素晴らしいと、島崎藤村も言っていたではないか。


がんばれ、がんばれ。寅さん神社を作っちゃえ。

すばらしいストーリー、いわれをつくればいいんです。



古事記でも、日本書記でも、スサノオノミコトは、荒くれものの、手の付けられない神だったんです。

でも、だから、ヤマタノオロチをやっつけられたんですけどね。


三年寝太郎というのもいるじゃありませんか。


いろいろな人がいて、日本は、ちょうどよいバランスをとっているんだから、素晴らしいいわれを考えてあげましょう。





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